STORY

人材育成

サンノゼで身に着けた柔軟な対応力とニーズを見極める力で自分の可能性を押し広げる

2022.08.19

入社4年目、27歳の時に海外販社研修*1を活用し、アメリカ・サンノゼに渡った川﨑凌平。日本ではイメージングシステム事業部で民生カメラ用イメージセンサーの開発を行っていましたが、サンノゼでは、セキュリティカメラ用などさまざまなイメージセンサーの技術サポートを担当。多種多様なお客さまの声を直接聞く体験、そして自分がビジネスの最前線にいるという責任感は、川﨑の柔軟な対応力とお客さまのニーズを見極める判断力を研ぎ澄まし、ビジネスにおける広い視野を身に着けました。また、ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社(以下、SSS)が、今後、アメリカのITの巨人たちのようにビジネスをスケールさせるための手段として、プラットフォーマーという立ち位置に昇華させていく必要があると考える機会になったといいます。今回のインタビューを通し、これからますます広がるグローバル社会でのビジネスに欠かせないものが見えてきました。

*1) 「海外販社研修」とは、海外の顧客フロントでの業務を通じて経験の幅を広げ、海外の市場動向や技術活用実態の把握、現地での人的コネクションの獲得を目的としたSSS独自の人材育成の取り組み。

川﨑 凌平

ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社
システムソリューション事業部

プロフィール:2016年入社。イメージシステム事業部に配属。民生カメラ向けイメージセンサーの回路設計エンジニアや開発プロジェクトリーダーの役割を経験。2022年にシステムソリューション事業部へ異動。AI開発のパートナーとの協業や将来的なイメージセンサー開発のロードマップ検討に従事している。

「お客さまの生の声を聞きたい」という思いから海外赴任研修にチャレンジ

海外赴任研修に踏み切れたのは「1年なら何とかなると思った」と川﨑は言います。入社4年目ということもあり、上司から他地域の海外赴任の打診があったが、通常3年間という任期に二の足を踏んでいました。これまで自分のキャリアを考える上で、海外赴任を検討したことがなかった川﨑にとって、見知らぬ土地にいきなり行くことには戸惑いがあったのです。その一方で「もっとお客さまの生の声を聞きながら仕事をしてみたい」という思いも抱いていました。当時の業務は回路設計エンジニアであったため、直接お客さまの声を聞く機会は稀で、お客さまのニーズに対して「本当にこういうものを望んでいるのだろうか」と思うことがありました。というのも、学生時代は企業担当者との産学共同研究を実施しており、大学側が試作したものに対し、企業の担当者が直接フィードバックするという、お客さまの声がダイレクトに聞ける環境に身を置いていたのです。この経験は「誰のための開発なのか」というシンプルで、開発者としてとても大切な視点を養っていました。「3年間の海外赴任は気後れする、けれど、もっとお客さまの近くで仕事をしてみたい」と思っていた矢先、社内メールで1年間の海外販社研修制度を知った川﨑は「これはチャンス」と思ったといいます。

川﨑が赴任したのはアメリカ合衆国カリフォルニア州のサンノゼで、担当業務はお客さま技術サポート。赴任してまず感じたのは、現地スタッフのスピード感と業務への取り組み方の違いでした。人数が少ないため、スタッフ全員が『自分がお客さまに対応している』という自覚があり、SSSを代表している自負を持って業務を行っていました。そのため、一人ひとりが自立しており、自主的に動くことが当たり前で、事前に上司と大まかな枠組みを擦り合わせておくことで、ある程度の裁量を持ってスピーディーに商談を進めていました。「日本では1時間2時間の遅れは大きな後れにはならないかと思いますが、アメリカから日本の技術サポートを受けようと思うと、時差の関係で当日中の回答が難しくなる可能性があります。ですから、日本への問い合わせは最優先事項として対応していました」と川﨑。「お客さま対応の遅れで、商談が決裂してしまったら売り上げに響いてしまう」ため、とても気を使ったといいます。

お客さまの求めていることに感度を高くアンテナを張る

赴任当初は営業担当者や他の技術サポートメンバーに付いていく形でお客さまの対応に当たっていました。お客さまの中にはイメージセンサーの知識が少ない方もいるので、技術的な説明は誰でも分かるようにかみ砕き、それを英語で伝える必要がありました。また、お客さまのリクエストに対する勘所がないために、商談時の聞き方や話し方に慣れるのに苦労しました。よく聞く話ですが、日本人特有の柔らかい言い回しは、現地では通じません。できること、できないことをはっきり伝えることの重要性を、身をもって体験したのでした。また、業務に慣れてくると技術的な話であれば一人で訪問・対応することも増えていきました。一人で対応する責任も大きくなるため、打ち合わせにはお客さまのリクエストを予想して臨むのですが、予想を裏切られることもしばしば。ある時、メールの内容ではそこまで大きくない話だと思って訪問すると、相手はリモートメンバーを含めて15人ほどいたことがありました。結果的に商談はまとまったものの、アイスブレイクのトークや打ち合わせの進め方など、反省の多い経験となりました。こうした場面でも慌てずに対応する方法は、「いろいろなカテゴリーのお客さまと対峙していくことで、ある程度は慣れます。加えて大事なのは、お客さまの業界のことをしっかり勉強し、業界のトレンドやお客さまの課題について常に会話できるようにしておくことです。そして、お客さまが何を求めているのかに感度を高くアンテナを張りながら議論を進める」こと。単にリクエストを聞くだけではなく、さまざまな会話を通じて重要な情報を聞き出す能力も必要で、業界の知識を持つことで余裕をもって打ち合わせに臨めるようになるのだといいます。

アメリカ・サンノゼでの業務風景

また、英語でのコミュニケーションに慣れていない時期に川﨑を助けたのは、ソニーのブランド力でした。「展示会や学会に参加した際、ソニーの開発者であることが分かると、みんなこぞって質問にきてくれました。私の拙い英語でも、彼らは聞く体勢になっているので、コミュニケーションを成立させてくれたのです。」チーム内でのコミュニケーションは、日本人も多くいたことで、それほど困ったことはなく、ランチの時間や週末のホームパーティに招待されながら、親睦を深めました。一見、順風満帆そうですが、実は、川﨑を悩ませたのは職場の環境や語学以外のところにありました。それは、休日の過ごし方。現地では忙しいながらも日本より就業時間は短く、仕事に慣れるに従い、就業後や休日をどのように過ごすのかに悩むようになりました。そこで川﨑が選んだのは現地のバスケットボールコミュニティに入ること。中学時代から続けてきたバスケットボールなら、英語よりもむスムーズにコミュニケーションが取れると考えたのです。この経験は、単にオフの時間を充実させるだけではなく、職場とは全く違う環境に入ることで現地の文化や考え方に触れることができ、川﨑が抱えていた言葉や国の心理的ハードルを取り除くことになりました。

プライベートでは、現地のバスケットボールチームの仲間と過ごした

イメージセンサービジネスの広がりを肌で感じ、SSSが成長するべき方向を探る

赴任中、アメリカのビジネスやトレンドにアンテナを張り、同時にSSSからの出張者からさまざまな情報収集をする。それらの情報を武器に、多種多様なお客さまに対応してきた経験は、世の中の動きやSSSのイメージセンサービジネスをスケールさせる方向性を考える機会となりました。全米を駆け回り、ITジャイアントを始めとするさまざまな企業とビジネスを進めていくに従い、川﨑はイメージセンサービジネスの今後の大きな可能性を感じる一方で、ITの巨人たちのプラットフォーム戦略がビジネスに与える影響の大きさを痛感したのです。プラットフォーム上で行うビジネスはプラットフォーマーの影響を多大に受けるため、プラットフォーマー以上にビジネスを大きくスケールさせることはできないからです。赴任前は民生カメラ用イメージセンサー開発を担当していたこともあり、映像文化を技術的にどのように発展させるかを考えていましたが、海外赴任を通し、自分たちのイメージセンサービジネスをスケールさせていくために「プラットフォーマーたちとどのように付き合っていくべきか」、さらには「自分たちがプラットフォーマーにならなくてはならない」と考えるようになりました。
現在の部署では、エッジAIプラットフォーム「AITRIOS™(アイトリオス)」の開発チームでAI開発のパートナーとの協業や、将来的なイメージセンサー開発のロードマップを検討するなど、多岐にわたる先端領域に携わっている川﨑。定型化されないさまざまな課題への対応が求められる業務ですが、サンノゼで鍛えられた対応力・適応力で、週に約5回は中国やイスラエルなどのメンバーとのコミュニケーションも難なくこなしています。「今回の経験で、海外赴任への心理的なハードルはなくなりました。機会があれば、またチャレンジしたい」と赴任前から考え方は180度変わりました。
海外で活躍する上で必要なスキルを聞くと「環境に適応する能力」とのこと。日本と同じ環境は一つもない中で、自分の色を出す必要はあるが、現地のメンバーにポジティブなイメージを持ってもらう必要があるので、現地の文化、やり方に適応させていく必要があります。語学に関しては、赴任前に人事が準備した語学講習のおかげもあり、赴任先で業務や生活をしていく最低限のレベルを習得できたと言います。「あとは行ってしまえば何とかなると思っていました」と言う通り、直に肌で感じ、その土地・文化に適応していくことで、新たな発見、新たな考え方に出会えるのだと感じました。