ソニーの半導体の
歴史/沿革

1954年に日本で初めてトランジスタを商用化したことから始まった、ソニーの半導体事業の歴史を紹介します。
ソニーの半導体事業、
そのあゆみ
年表

ソニーの半導体事業、
そのあゆみ

1953

東京の町工場が
世界のトランジスタに挑戦。
全てはここから始まった!

この年、ソニー創業者・井深大と、のちの4代目社長・岩間和夫がテープレコーダー研究のために渡米。そこで当時発明されたばかりの「トランジスタ」の特許権取得を持ちかけられます。当時、社員数が急増しつつあった東京通信工業(現在のソニーグループ株式会社)の新たな基幹事業を模索していた井深は、熟考の末トランジスタへの挑戦を決意。同時期にトランジスタ製造を検討していた国内大手企業が製造ノウハウ提供も含んだ契約でトランジスタ市場に参戦しようとしている中、あえて独力で研究し、翌年には日本初のトランジスタの試作に成功しています。ソニーの半導体事業の歩みはここから始まったと言えます。

そして1955年には日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売。この製品は初めて"SONY"ロゴが刻印されたプロダクトとしても知られています。

テープレコーダー写真
1960

急成長を遂げた半導体製造の新拠点
ソニーの厚木工場が完成

ソニーのトランジスタ事業は、この年、月産100万個の規模にまで拡大。当時は御殿山(東京都品川区)の本社工場で生産されていましたが、手狭になり、大規模で近代的な半導体工場の建設に踏み切ることになりました。そこで選ばれたのが厚木(神奈川県)の地。ここに5万坪の敷地を確保し、当時最先端の技術を盛り込んだ厚木工場が誕生しました。11月に行われた落成披露式で井深は、「輸出に頼る日本が世界と戦っていくためには低コストで優秀な製品をどんどん作っていかなければならない」と厚木工場がその布石となることを高らかに宣言しました。

厚木工場写真
1970

電子の「眼」CCDへの挑戦

1970年春、ソニーの基礎研究を担う中央研究所の研究員が、世に出たばかりの発明論文を読んだことをきっかけにソニーのCCD研究開発がスタートしました。これを強く後押ししたのが、中央研究所の所長にして当時ソニーの副社長でもあった岩間です。岩間は電子の「眼」としてのCCDに大きな将来性を感じ取り、当時、電卓用MOS半導体開発からの撤退など勢いを失っていた半導体事業を立て直す目的もあって、CCD実用化に莫大な予算と人員を投じました。

しかし、CCD実用化への道は、他社が次々に撤退していく茨の道でした。しかしソニーはCCDへの挑戦を諦めず、ついに1978年、実用レベルのCCD開発に成功。1972年にはわずか8×8=64画素にすぎなかったものを、執念のような情熱をもって約12万画素にまで高めたのです。このCCDは翌年「ICX008」として正式に商品化。それまでに使われた開発費は当時の費用で200億円にも達し、20世紀中の回収は不可能という覚悟の投資でした。

半導体写真
1980

ソニー製CCDを初搭載したのは
ジャンボジェット機だった

苦難の末に量産されたICX008は、1980年1月、世界初のCCDカラーカメラ「XC-1」に搭載され、全日空のジャンボジェット機が離着陸の様子を機内に映す「スカイビジョン」に採用されました。そして1985年には、新開発された25万画素CCDを搭載したカメラ一体型8ミリVTR「CCD-V8」を発売、それと同時にCCDの外販もスタートしました。しかしながら、1987年には、量産開始から続くゴミ・ホコリ混入問題がさらに深刻化し、歩留が上がらず、他社も同様の問題を抱え、業界全体でCCD量産が停滞する事態に見舞われました。ソニーは、ゴミ追放に昼夜を問わず取り組み、何とかこれを乗り越え、以降、CCD事業はソニーの大きな柱へと成長していきます。

カメラ写真
1986

半導体設計でソニーの
独創的なモノづくりを支えてきた
ソニーLSIデザイン

ソニーLSIデザイン(以下、SLSI)は、1986年にLSI設計とマイコンソフトの開発を行う専門集団として誕生しました。設立当初の会社名は「ソニーテクニカルソフト」。90年代半ばまで開発の中心はマイコンで、ソニー製品に貢献しながら、その技術をいかして外販を行っていました。そんな中、その後のハードウェア設計の基礎となるCDプレイヤー用の信号処理LSIの設計をソニーから受け継ぎ、事業内容に合わせて、1990年に会社名を「ソニーLSIデザイン」へと改称。2000年代に入ると、携帯型ゲーム機PSP「プレイステーション・ポータブル」のLSIを通常よりも3ヵ月早いペースで開発するという難題を見事に完遂し、「チップ開発といえばソニーLSIデザイン」と言われるまでの信頼を得るようになりました。

2006年頃には、当時急激に普及し始めていたシステムの動作に必要なマイクロプロセッサとプログラムを一つの半導体に搭載するシステム・オン・チップ(SoC)の開発に対応すべく、技術力のさらなる向上をめざし、設計だけはなく、試作や評価、量産、デリバリーまでを手がける体制を実現。以降もCCDイメージセンサー、CMOSイメージセンサーと急拡大する需要に応えるように、設計力を大幅に増大させ、ソニーのイメージセンサーを支える不可欠な存在となっていきます。そして2022年4月、半導体設計および設計オペレーションの一体運営体制によるさらなる事業の強化を目的に、SLSIはソニーセミコンダクタソリューションズに統合され、約36年にわたる会社の歴史に幕を下ろしました。

プレイステーション・ポータブル写真
2001

九州の地から
日本各地へ根を伸ばす
ソニーの半導体事業

2001年4月、ソニーはグループ内で半導体生産を担っていた九州3事業所(ソニー国分、ソニー大分、ソニー長崎)を統合し、当時建設中だった熊本テクノロジーセンターを加え、半導体設計・生産プラットフォーム会社「ソニーセミコンダクタ九州株式会社」を設立しました。めざしたのは資材調達から生産計画立案、品質管理、物流プロセス、カスタマーサービスに至るまでを統合的に運営できる「ワンストップ」なもの作り体制の確立。これにより、加速する半導体ビジネス環境に柔軟かつスピーディに対応できるようになったことが、以降、多くの"革新"の原動力となりました。

その後、ソニーセミコンダクタ九州は、2011年に宮城県白石市のソニー白石セミコンダクタを吸収合併して「ソニーセミコンダクタ株式会社」に改称。以降も、2014年に山形県鶴岡市のルネサス山形セミコンダクタの鶴岡工場を譲り受け、山形テクノロジーセンターを設立するなど、九州の地に深く根を張りつつ、各地にソニーの半導体製造拠点を拡大しています。また、2016年にはソニーの半導体事業を担う「ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社」の営業開始を受けて、「ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング株式会社」と改称。また、大分県大分市の東芝の300mmウェーハ生産ラインの資産を譲り受け、国東市の工場(現 国東サテライト)とあわせ大分テクノロジーセンターとして新たな体制を構築したほか、2021年には、旺盛な需要に対応すべく、長崎テクノロジーセンターに増設棟を完成するなど、生産体制の増強をはかっています。

外観写真
2004

「もうCCDには投資しない」
未来を見据えた大きな決断

ソニーは、1996年にCMOSイメージセンサーの開発を始め、2000年にソニーとして初めてのCMOSイメージセンサー「IMX001」を商品化しました(「エンタテインメントロボットAIBO(ERS-220)」などに搭載)。当時のCMOSイメージセンサーは薄暗い場所でノイズが多く、画素数でもCCDに劣っていましたが、動画の画質がSD(Standard Definition)からHD(High Definition)へと変わりつつある中、読み出し速度が遅いCCDは、いずれ高解像度データに対応できなくなることは明白でした。

そこでソニーは、2004年にCCDへの増産投資を中止し、以降の投資をCMOSイメージセンサー開発に注力することを決定しました。なお、当時のデジタルカメラはまだまだCCD搭載モデルが主流。ソニーのCCDシェアは世界ナンバーワンであり、カメラメーカーからCCD増産が強く要望されている中での決断でした。しかし、その英断が現在のソニーセミコンダクタソリューションズグループを支えています。

AIBO写真
2006

PlayStation 3の
心臓部をゼロから生み出す

2000年に発売された「PlayStation 2」の世界的大成功を受け、ソニーは、その後継機である「PlayStation 3」のための超高性能プロセッサー「Cell Broadband Engine」の開発に乗り出します。Cell Broadband Engineは、ゲーム機だけでなく、さまざまなエンタテインメント機器への搭載を想定したスケーラブルな設計、当時としては画期的だった非対称コアを用いた圧倒的な処理能力が特徴でした。成功が期待されていたPlayStation 3を起点に、多くの機器へとCell Broadband Engineを展開していく計画は「Cell構想」と名付けられました。

この開発を通じて得た知見が、後のCMOSイメージセンサー事業の飛躍へと繫がっていきます。

プロセッサー写真
2011

再び業界ナンバーワンへ!
大きく飛躍する
イメージセンサー事業

2004年にCCDからCMOSへと大きく転換した、ソニーのイメージセンサー事業。2007年には高速、低ノイズを実現した独自のカラムA/D変換回路搭載のCMOSイメージセンサーを、2009年には従来比2倍の感度を実現した裏面照射型CMOSイメージセンサーを商品化し、その性能は人間の眼を超えるまでになりました。さらに2012年には画素部分と信号処理部分の積層構造により、高画質、多機能、小型を実現した積層型CMOSイメージセンサーを商品化、2015年には小型、高性能、生産性向上を実現したCu-Cu(カッパー・カッパー)接続を世界に先駆けて実用化しています。

こうした成果を元に、ソニーのイメージセンサー事業は2011年、再び業界ナンバーワンに。今日までの10年間、さらなる技術革新を重ね、業界をリードし続けています。

図
2016

そして
SSS
グループへ

2016年4月、ソニーは大きな成功を手にしたイメージセンサー事業を含む半導体事業の成長をさらに加速させるため、半導体事業を分社化。ソニーセミコンダクタ株式会社(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング株式会社に社名変更)、ソニーLSIデザイン株式会社を子会社とする、「ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社」がここに誕生したのです。
その従業員数は3,300名(当時)。ソニーのデバイスソリューション事業本部から半導体の開発、設計を担う部署を継承し、新たな時代に向けた組織を作りあげました。現在、国内および関連海外事業所などを含む半導体組織を担う事業をソニーセミコダクタソリューションズグループ(以下SSSグループ)として一体感を持った経営を行っています。

イメージ
2022

これからの
SSSグループが
めざすこと

そして、現在。これからのSSSグループは何をめざしていくのでしょうか。

SSSグループは、テクノロジーの力で人に感動を、社会に豊かさをもたらすことをミッションとし、最高度のイメージング&センシングテクノロジーで映像クオリティと認識機能の限界に挑戦し、あらゆるシーンにソリューションを展開していくことをめざしています。

2022年1月には、SSSグループのコーポレートスローガンとして「Sense the Wonder(センス・ザ・ワンダー)」を策定し、社員を含めたさまざまなステークホルダーに向けて発信し続けています。このコーポレートスローガンは、SSSグループの存在を表現する言葉にとどまらず、「好奇心をもっと感じよう」、「もっと驚きと感動に満ちた世界にしよう」という思いも込められています。SSSグループは、イメージング&センシングテクノロジーの進化には、人間の可能性を拡張し、胸躍る未来を切り拓く力が満ちあふれていると信じています。

イメージング&センシングテクノロジー
Sense the Wonder

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